2023年9月18日 (月)
2023年8月 5日 (土)
8月3日ゲーデ兄弟(フローリアンとフィリップ)が来日しました。
1週間を北京の祖母宅で過ごしたゲーデ兄弟(長男フィリップ25歳、次男フローリアン23歳)が8月3日JAL便で羽田空港に到着しました。フローリアンは東日本大震災被災地応援ツアーでたびたび来日していますが、長男フィリップは初来日です。銀座のホテルに迎えに行き、築地の宮川本店で夕食をとりました。
二人は東京に3泊しスカイツリーや浅草、そして渋谷、新宿、秋葉原などを観光する予定です。左上はプレゼントした、大好きなコミック「ワンピース」のノベリティーグッズに、大喜びするゲーデ兄弟。フィリップにとって鰻は初体験です!
肝焼を凝視する二人、この後『美味しい!!!』。若い二人は鰻2尾を使った「中入れ丼」、私は鰻重です。店内は満員・・・さすが注文してから割く宮川本店は味も格別です。
築地本願寺では盆踊りが盛り上がっていました。
東京の次は京都に移動し、名探偵コナンの聖地や京都の旧蹟、姫路城などを訪れます。フィリップは教育大学でドイツ語とドイツ史の教員を目指して勉学中で、中国語、ドイツ語、英語が堪能なため将来は中国人留学生にドイツ語やドイツ史を教えたいと希望しています。フローリアンはチェロ奏者として、ベルリンの名門ハンス・アイスラー音楽大学をこの6月に卒業し、同大学大学院に進学します。
2023年7月26日 (水)
2023年7月11日 (火)
7月9日、Derek Gaede氏(Daniel Gaede氏の御尊父)がご逝去なさいました。87歳でした。心よりお悔やみ申し上げます。
先週、私はハンブルクを訪れ、私の父の最後の1週間を一緒に過ごしました。彼は、ある団体と医師の助けを借りて。自ら命を絶つことを決めたのでした。トーマス、セバスチャン、私、そして私たちの妻はすでに5月に彼の決断を知っていました。
昨日、2023年7月9日(日曜日)の深夜、彼は自分で点滴を開け、まもなく息を引き取りました。私たち3人の息子は彼と一緒にいました。父は87歳でした。
私たちが最愛の父と呼んでいたデレク・ゲーデは、癌のために強くなっていく痛みや、頭がはっきりしなくなることをとても恐れていました。だんだん力が弱くなり、歩いたり、朝起きたりするのが大変になったとも感じていました。私たちは皆、彼の重大な決断を尊重し、それまでの数週間、数日、数時間を共有し、素晴らしい時間を過ごしました。
デレクの写真は旅立つ40分ほど前のものです。彼は幸せな男であり、偉大な父親でした。
彼は永遠に私たちとともにいます。
トーマス、セバスティアン、ダニエルより (拙訳:丸岡 努)
Daniel Gaedeからのメール(一部抜粋)
Last week I went to Hamburg to be with our father for his last week.
He had decided to take his own life with the help of an organization and a doctor. Thomas, Sebastian, me and also our wives knew about his decision already this May.
Yesterday, on Sunday in the late morning he opened the infusion himself and shortly after passed away. We, his 3 sons were with him. He was 87 years old.
Derek, as we called our beloved father, was so afraid of getting pain or not to be clear in the head due to his cancer and later not to be capable anymore to control when to go. He felt that his power had gradually decreased and walking and getting up in the morning had became much harder for him. We all respected his big decision and together had a wonderful time together the weeks, days and the hours before.
The picture of Derek shows him about 40 minutes before he left. He was a happy man and a great father. He will be with us forever.
All best wishes, also from Thomas and Sebastian, Daniel
2023年3月17日 (金)
2月10日(金)故エックハルト・ザイフェル)ト(Prof. Eckhard Seifert) 氏の家族葬がウィーン(Mödling)で行われました。
葬儀にはマリオン夫人と4名のご子息(カロリーネ、シビレ、ラリッサ、ニコラス)、兄ギュンター、姉ウタさんと甥・姪らご親族、そして友人ら多くの関係者が参列しました。
ウィーン・フィルからはキュッヒル・クワルテットやウィーン・リング・アンサンブルでも、長年活動を共にしたライナー・キュッヒル(Prof. Rainer Küchl、前ウィーン・フィル、コンサートマスター )氏らが多数の方が参列し、団員有志が以下の楽曲を演奏しました。キュッヒル氏はザイフェルトの生まれ故郷ヴァイヤーの隣町、バイトフォーヘン・アンデア・イプスの生まれです。
バッハ G線上のアリア
モーツァルト クラリネット五重奏曲 ラルゲット
エルガー エニグマ変奏曲よりニムロッド
演奏者
(ヴァイオリン)
ギュンター・ザイフェルト
ライナー・キュッヒル
キャサリーナ・エンゲルブレヒト
キリル・コバンチェンコ
ドミニク・ヘルツベルク
ギュンター・ザイフェルト・ジュニア
(ヴィオラ)
ペーター・オクセンフォッハー
ロベルト・バウワーシュタッター
(チェロ)
ラファエル・フリーダー
フランツ・バルトロメイ
(クラリネット)
ヨハン・ヒンドゥラー
NPOフレンドシップ・コンサートのためのエックハルト・ザイフェルト氏・活動歴(日本ツアーのみ)
1994年10月 13公演(シャゲレル・トリオ・ウィーン)
1995年10~11月 10公演(ウィーン・ザイフェルト弦楽四重奏団)
1997年3月 12公演(ウィーン・ヴァイオリン四重奏団)
1999年 15公演(ウィーン・ザイフェルト弦楽四重奏団)
2000年 20公演(ウィーン・ザイフェルト弦楽四重奏団)
2003年 25公演(ウィーン・ザイフェルト弦楽四重奏団)
エックハルト・ザイフェルト氏は卓越したヴァイオリン奏者であり、教育者でもありました。そしてどのような時でも、常に微笑みを絶やさない穏やかな方でした。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。丸岡 努
向かって右からギュンター・ザイフェルト、エックハルト・ザイフェルト、ゲアハルト・イベラー、エドワルド・クドラック・・・現在は全員が退職者団員です。2003年来日ツアーの為、ウィーン楽友協会で撮影された宣材写真です。
オーストリア大統領ハインツ・フィッシャー氏とザイフェルト兄弟。
2023年3月14日 (火)
訃報 去る1月21日前ウィーン・フィル首席第一ヴァイオリン奏者 エックハルト・ザイフェルト(71歳・Prof. Eckhard Seifert)さんが逝去されました。
前ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席第1ヴァイオリン奏者で、同じく同団第一ヴァイオリン奏者ギュンター・ザイフェルトの実弟であるエックハルト・ザイフェルト(Prof. Eckhard Seifert)さんが、1月21日ご逝去されました。享年71歳
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のホームページに掲載された訃報」(原文はドイツ語です。)
1月21日、エックハルト・ザイフェルトの訃報に接し、私たちは大変な悲しみに包まれました。
彼は1952年3月1日、オーバーエスターライヒ州ヴァイヤーに生まれ、ザルツブルクのモーツァルテウムのヤロスラフ・スーチー教授を経て、当時のウィーン音楽アカデミー(現在のウィーン音楽・舞台芸術大学)のフランツ・サモヒル教授に師事しました。20歳の時、すでにウィーン国立歌劇場のオーケストラの第一ヴァイオリンのオーディションを勝ち抜き、1975年に第一ヴァイオリンの首席奏者となりました。このポジションで彼は同僚や聴衆に親しまれ、オーケストラのトレードマークのような存在になったのです。オーケストラでの活動に加え、エクハルト・ザイフェルトは、ザイフェルト・カルテットの第1ヴァイオリン奏者(1976-1980)、ウィーン・ストリング・ソロイスツのコンサートマスターとして、最も熱心な室内楽奏者の1人でした。1980年から2012年までキュッヒル弦楽四重奏団、1990年から2012年までウィーン・リング・アンサンブルのメンバーとして活躍しました。この間、ベートーヴェンやモーツァルトの弦楽四重奏曲の全曲録音や、ハイドンの四重奏曲の全曲録音など、数多くの録音に参加しています。
また、Dkfm.Angelika Prokopp Privatstiftungから当楽団に貸し出されている、1727年製のアントニオ・ストラディヴァリのヴァイオリンを7年間使用し、演奏しました。
1999年、ザルツブルク州より功労賞(Golden Decoration of Merit)を授与され、2002年には連邦大統領トーマス・クレスティル博士より「プロフェッサー」の称号を授与されると同時に、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名誉の指輪、2012年には連邦大統領ハインツ・フィッシャー博士からオーストリア共和国への貢献に対する名誉の銀賞を受賞しています。
エックハルト・ザイフェルトの逝去によって、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、何十年にもわたって、オーケストラの品質と芸術的名声を支え、形成してきたメンバーを失いました。彼の人生は、決して平坦なものではなく、創立者オットー・ニコライの「常に最高のものを目指して、共に、そして自分の中で努力する」という願いに応えるためのものでした。
2023年3月 2日 (木)
2022年11月11日 (金)
11月11日ウィーン・ピアノ五重奏団、全員元気でドイツ、オーストリア、スイスの自宅に戻りました!
11月11日午前ウィーン・ピアノ五重奏団のメンバーは、全員元気でドイツ(ゲーデとリヴィニウス)、オーストリア(フリーダー兄弟)、スイス(エイブ)の自宅に戻りました。
今回のツアーは新型コロナウィルス対応のコンサート形式を採用し、特に高齢者用施設や学校等では回数を2~3回とし、入場人数を少なくする工夫がなされました。このためコンサート回数「全69回」という記録が作られました。ご尽力を頂きました関係者各位に厚く御礼申し上げます。
一方、重なる演奏の「緊張」を和らげるため・・・クレメンツ・フリーダーが持参したUNOをすることで「緩和」を作り出しました。丸岡はUNO初心者であったため、なかなか勝利するのに苦労しました。
全UNO試合回数:164戦
金メダル及び「響」カップ優勝:クレメンツ・フリーダー(全35勝)
銀メダル:グスタフ・リヴィニウス(全32勝)
銅メダル:マクシミリアン・フリーダー(全27勝)
「飛鳥」カップ優勝:ダニエル・ゲーデ及びセバスティアン・エイブ(全26勝)
最終試合カップ優勝(LAST GAME CUP):丸岡 努(全18勝)
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