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2011年8月 2日 (火)

ウィグモア・ホールでの演奏会の批評です。

マリノ・フォルメンティ評(ウィグモア・ホール)

イタリア人ピアニスト、マリノ・フォルメンティは演奏会での感動を再現するために大画面モニター、照明装置や再生装置など不要であることを教えてくれた。

アイヴァン・ヒューイット

最近巷間では「いかに演奏会での感動を再現するか。」という論議が多々なされています。イタリア生まれのピアニスト、マリノ・フォルメンティよるこの演奏会では、そのための大画面モニター、照明装置や再生装置など不要であることを証明してくれた。必要なのは音楽に対する心からの想像力だけで、これによってプログラム全体をその細部に至るまで想像することができ、また想像力そのものが私たちに音楽の新たな聴き方を与えてくれるのです。

マリノ・フォルメンティは真に優れたピアニストです。この演奏会で70曲も演奏し、中には15秒と短いものもあれば5分のものもありました。曲の半分ほどは、孤独好きで生真面目なハンガリーの作曲家ジェルジュ・クルターグのものでした。これらの小品には他の音楽、中世のギョーム・ド・マショーからスカルラッティ、ハイドン、ロマン派ではシューベルトから現代のブーレーズ、シュトックハウゼンに至る作曲家の回想がこめられています。フォルメンティはこれらの小品に彼らへのオマージュを添えることを考えたのです。そしてこの演奏会のタイトルは『クルターグの幽霊』です。

この独創的な発想は、驚くほど多彩な変化と最大限の集中をもたらす何ものかを生み出しています。フォルメンティは曲間には最小限の間を残し、古い作品中に潜んでいる現代的なものを引き出して見せます。そして演奏は聴衆をひきこんでいきます。ハイドンの「Seven Last Words」からの曲「Earthquake」は素晴らしいものです、リスト愛好家はピアノフォルテの破壊であると言うでしょうが。また曲を極端に大きく思わせるようにしていますが、それは既にクルターグへ至る途上にあるということです。

この効果には2つの面があります。フォルメンティの演奏で聴いた2つのスカルラッティのソナタは一般的に言って激しくエキセントリックなものでした。共にクルターグのスカルラッティに対するオマージュとするほどには、その真髄をついたものではありませんでしたが演奏の優雅さは完璧なものでした。

作品をそれぞれの「ghosts」に近づけるために歪め-フォルメンティははるか遠くに行ってしまったことを-このことは暗示しているのかもしれません。実際彼が各作曲家に対していかに純粋であるかということは際立っていいました。シューベルトの「ハンガリーのメロディー」やヤナーチェクの「草かげの小径にて」での彼のタッチの優雅さにはうっとりとさせられるものがありました。

Marino_101015062s_3 シューマンの子供の情景から「詩人は語る」だけは曲に標題音楽的な意図が強く感じられましたが、後半では幾分簡素化されたようでした。しかしこれはほんの些細なことでしかありません。この演奏会は、今年私たちが聴けるソロリサイタルのうちで確実に、最も独創的であり、また鮮やかに演奏されたものです。                                         2011210

 

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