« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月28日 (水)

ウィーン・フィル、リーダーヴァイオリニストのダニエル・フロシャウアーに会いました。

来日中のウィーン・フィル第一ヴァイオリン奏者ダニエル・フロシャウアーに会いました。表参道の割烹で共通の趣味であるカメラ、レンズの話やウィーン・フィルのこと、あるいは様々個人的なことを4時間近く話しました。Dscn0259ウィーン・フィルではリーダーヴァイオリニスト(Stimmführer)の重責を担うフロシャウアーですが、ウィーン・フィルが現在直面している問題や世代交代の大きな流れ、東日本大震災、そして来年10月に来日するウィーン三重奏団(仮)のことなど話は尽きません。Dscn0260

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月27日 (火)

2013年に生粋のウィーン三重奏団、TRIO WIEN(仮)を招聘します!

NPOフレンドシップ・コンサートでは来年2013年10月ウィーン三重奏団、TRIO WIEN(仮)を日本に初めて招聘します。このピアノ三重奏団は昨年9月24日にウィーン国立歌劇場グスタフ・マーラー・ザールで新たにスタートした「ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団室内楽シリーズ」の幕開けに登場したピアノ5重奏団をもとに編成されました。Trio_wienヴァイオリンにはウィーン・フィルの第一ヴァイオリン奏者として実力と名声を誇るダニエル・フロシャウアー(Daniel Froschauer)、チェロには1991年以来フレンドシップ・コンサートの仲間であるラファエル・フリーダー(Raphael Flieder)、そして弱冠22歳の若き名ピアニスト、マクシミリアン・フリーダー(Maximilian Flieder、ラファエル・フリーダーの次男)と、ウィーン生まれ、ウィーン育ちの清新でピュアなピアノ三重奏団です。ちなみにフロシャウアーとフリーダー(父)は無二の親友です。Try_0015マクシミリアン・フリーダーはウィーン音楽大学でピアノを学んだ俊英であり、ソリストとしての活動はもとより室内楽奏者としても、欧米及び日本での多くの演奏会に出演してきました。ウィーン・フィル150人の団員の中で生粋のウィーンっ子は数えるほどしか存在しません。ウィーンの水で産湯を浸かった3人のウィーン人によるピュアな音楽とは・・・磨きぬかれた感性から紡ぎだされる父と子の対話にも期待は大きくふくらみます。Phototerry(写真上) 2011年9月24日ウィーン国立歌劇場内のグスタフ・マーラー・ザールで、開演前に共演する息子マクシミリアンのネクタイを結ぶ父ラファエル・フリーダーのうれしそうな表情。後方はウィーン・フィルのリーダー・コントラバス奏者ミカエル・ブラッダラー。なおフリーダーの長男クレメンツ・フリーダー(Clemens Flieder)はヴァイオリン奏者で現在サブスティテュートとしてウィーン国立歌劇場やウィーン・フィルで演奏しています。

(写真下)長男クレメンツと父、2012年ウィーン・フィルのオマーンツアーで。L1001274

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

ダニエル・ゲーデ(Daniel Gaede)について・・・(4)

現在ダニエル・ゲーデはニュルンベルク音楽大学の教授として、世界各地から集まった学生たちを指導しながら、ソリストとして、あるいは室内楽奏者として、多彩な音楽活動を行なっている。

また学生時代にベルリンで知り合った西安生まれ、北京育ちのピアニスト、スイシュー・リュウ(Xuesu Liu)と結婚し、緑に囲まれたニュルンベルク郊外に暮らしている。フィリップ(13才)とフローリアン(11才)の2人の息子を加えた4人家族で、フィリップは高校に進学し寄宿舎生活に入った。スイシュー夫人も子育てから幾分解放されてきたので、今後は夫妻での音楽活動が増えそうである。Photo3・11の後、直ちにダニエル・ゲーデと東日本大震災の応援ツアーを企画し、スイシュー夫人に了解を求めた時、彼女は「私は日本と日本人を信頼しているから、夫が日本に行くことに不安はない。むしろすすんで行なうべきことだと思っている。」 と即答した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダニエル・ゲーデ(Daniel Gaede)について・・・(3)

兄トーマスが医学の道を志し、次男のダニエルも16才でドイツ国内コンクールやロンドンでのカール・フレッシュ国際コンクールで優勝、末っ子のセバスティアンもダニエルと同時にドイツ国内コンクール優勝し、同時にクラウディオ・アバドの主宰するヨーロッパ・ユースオーケストラに入団した。ダニエルは同団のコンサートマスターであった。9

10

11ハンブルクの心豊かな温かい家庭で育ったゲーデ3兄弟は、それぞれの目指す目標に向かって歩き出していった。12

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダニエル・ゲーデ(Daniel Gaede)について・・・(2)

すでに幼少期よりゲーデ兄弟の才能は傑出していた。そしてそれは音楽に限ったことではなかった。兄トーマスは11才で奨学金を得て英国イートン・カレッジに留学した。イートン・カレッジは過去に19人に及ぶ英国首相を輩出した、英国一のスーパーエリート養成校である。5イートン・カレッジで優秀な成績を修めながらトーマスは、音楽家としてヴィオラ演奏にも集中し数々のコンクールに入賞した。やがてケンブリッジ大学に進み数学者になるか、音楽を続けるか、あるいは医師として世の中にでるかを、選択することになった。6直接病んだ人々の役に立ちたいと、彼は医師になることを選んだ。英国に留学中の兄トーマスは、ほぼ月に一度はハンブルクに帰郷した。すでにヴァイオリンの天才と評価されていたダニエルや、やはりチェロの神童であったセバスティアンとのゲーデ兄弟弦楽トリオは、多くの演奏会やテレビ・ラジオに引っ張りだこであった。7 ラジオ録音するゲーデ兄弟。8

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月20日 (火)

ダニエル・ゲーデ(Daniel Gaede)について・・・(1)

1994年から2000年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めたダニエル・ゲーデは、現在ニュルンベルク音楽大学ヴァイオリン科主任教授の要職にあるが、優れた教育者として多くの逸材を輩出する傍ら、ソリストあるいは室内楽グループのリーダーとして内外の数多くの演奏会に出演し圧倒的な評価を得ている。

私(丸岡)がゲーデに会ったのは1994年暮れ、ウィーン国立歌劇場で、ウィーン・フィルの友人ギュンター・ザイフェルトに紹介されたのが最初であった。1992年夏にザルツブルクで事故死した名コンサートマスター、ゲアハルト・ヘッツェルの後任として、初めてウィーンで音楽教育を受けていないウィーン・フィルのコンサートマスターが登場した、とずいぶん評判であった。私の印象も「若々しいく柔和で優しい美男子」で音色の柔らかさが特に際立っていた記憶がある。1ダニエル・ゲーデは国家公務員の父、ディートリッヒと英語教師の母、ヘルガの次男として1966年ハンブルクで生まれた。3才年上の兄トーマス、1才違いの弟セバスティアンの3人兄弟であった。2ゲーデ家3兄弟はそれぞれ5~6才から弦楽器を習い始めるが、たちまち才能を発揮した。また母親ヘルガは兄弟をバイリンガルに育てるため家庭内では英語を話した。どの写真でも感じられるように本当に仲の良い温かな家庭であった。3クリスマスパーティーでの弦楽トリオ演奏が兄弟にとって初めての室内楽体験となった。4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月19日 (月)

10月6日~11月5日までウィーン・フーゴ・ヴォルフ三重奏団が来日します!

Hugo_01_2 ダニエル・ゲーデ ( Prof. Daniel Gaede)

前ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター

1966年にドイツ、ハンブルクに生まれる。6才よりヴァイオリンを始め83年ドイツ国内コンクール1等賞及 びロンドンにおけるカール・フレッシュ国際コンクール優勝。1986年にはクラウディオ・アバドの主宰するEUユースオーケストラ、コンサートマスターに就任し、世界的な演奏活動を展開し1992年にはカーネギーホールにデビューした。ソリストとしてロイヤル・アルバート・ホール、バービカン・ホール、ウィーン楽友会館ホールで演奏、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団を初めとする著名オーケストラと共演する。室内楽奏者としてはゲーデ家の3兄弟でゲーデ・トリオを結成し、現代音楽を含んだ多彩な演奏活動を展開し、欧米及び日本で多くのTVラジオに出演する。ドイツ・グラムフォン、ラルゴ等のレーベルより多数のCDリリースする。1991年より94までベルリン芸術大学で教鞭をとり2000年以降はニュルンベルク音楽大学ヴァイオリン科主任教授の要職にある。1994年から2000年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団及びウィーン国立歌劇場管弦楽団でコンサートマスターを務めた。わが国での演奏会出演も数多く、毎年、霧島国際音楽祭、軽井沢音楽祭及び芦ノ湖音楽祭に招かれ、ソリストや室内楽奏者として多彩なコンサート活動の傍ら積極的に後進の指導にあたっている。

グスタフ・リヴィニウス(Gustav Rivinius)

1990年チャイコフスキー国際コンクール優勝者

チャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門審査員

グスタフ・リヴィニウスは1990年にモスクワで開催されたチャイコフスキー国際コンクールのチェロ部門の優勝者で、同時に解釈賞も受賞した。そして現在に至るまでドイツ唯一のチャイコフスキー国際コンクール優勝者であり、すでにチェロ独奏者としての地位を世界的に確立し、バイエルン放送交響楽団、ライプツッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団等の著名オーケストラや、ロリン・マゼール、ヴァレリー・ゲルギエフ、クリストフ・エッシェンバッハ、ヴァツラフ・ノイマン、ホルスト・シュタイン等の数々の巨匠たち及び有名な音楽家たちとの共演を続けている。リヴィニウス家は音楽一家としても有名で、兄弟でリヴィニウス・ピアノ四重奏団を結成し長年にわたり演奏活動をしている。またダ・サロ・トリオ(弦楽トリオ)、バルトルディ弦楽四重奏団、タムズ・ピアノ四重奏団に所属し、室内楽奏者としても活発に活躍している。グスタフ・リヴィニウスはHFMスターブリュッケン音楽大学教授であり同時にSchleswig-Holstein音楽祭のマスタークラスを受け持っている。これまでに多くの国際コンクールの審査員を務めてきたが、2011年よりチャイコフスキー国際コンクールの審査員に選出された。

ウォルター・デラハント(Walter Delahunt)

1994年チャイコフスキー・コンクール特別賞受賞者

1956年カナダ、ウォルフヴィーユに生まれ9才の時からピアノを始める。トロント大学でピエール・スーヴェランに師事、1978年同大学卒業時にはその並外れた技量に対してフォーシス賞を授与される。その後トロント王立音楽院で後進の指導にあたる傍ら1984年までカナダ、合衆国はもとより、ヨーロッパなどでソリストとして活発な演奏活動を行う。1984年から1997年までウィーン音楽大学教授を務めた後、スイス・ランデッグアカデミーに招聘されピアノコースを担当する。また室内楽奏者としても多彩な活躍を見せ名ヴァイオリニスト、ヘンリック・シェリングの最後の伴奏者を務めた。その他共演者にはザラ・ネルソヴァ、ギドン・クレメール、イダ・ヘンデル、マルタ・アルゲリッチ、カール・ライスターら名手たちが名を連ねている。各地の音楽祭にも定期的に招かれクレメール主催のロッケンハウス・フェスティバル、ベルリン・フィル室内楽シリーズ、ザルツブルク音楽祭、クオモ音楽祭等に出演する。またデラハントを高く評価しているマルタ・アルゲリッチ主催のルガーノ音楽祭の常連でもある。1992年にはロシアにてアンドレ・サハロフ記念平和メダルを授与される。現在フランクフルト及びドルトムントの音楽大学で教鞭をとりながら、欧米で活躍している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピアニストにはアルヘリッチの激賞する、名匠ウォルター・デラハントを招聘します!

ウォルター・デラハント

1994年チャイコフスキー・コンクール特別賞受賞者Fc2011_delahunt_21956年カナダ、ウォルフヴィーユに生まれ9才の時からピアノを始める。トロント大学に進みピエール・スーヴェランに師事、1978年同大学卒業時にはその並外れた技量に対してフォーシス賞を与えられる。その後トロント王立音楽院で後進の指導に当たる傍ら1984年までカナダ、合衆国はもとよりヨーロッパ、中東などでソリストとして活発に演奏活動を行う。1984年から1997年までウィーン音楽大学教授を務めた後、スイス・ランデッグアカデミーに招聘されピアノコースを担当する。また室内楽奏者としても多彩な活躍を見せ名ヴァイオリニスト、ヘンリック・シェリングの最後の伴奏者を務めた。その他共演者にはザラ・ネルソヴァ、ギドン・クレメール、イダ・ヘンデル、マルタ・アルゲリッチ、カール・ライスターら名手たちが名を連ねている。各地の音楽祭にも定期的に招かれクレメール主催のロッケンハウス・フェスティバル、ベルリン・フィル室内楽シリーズ、ザルツブルク音楽祭、クオモ音楽祭等に出演する。またデラハントを高く評価しているマルタ・アルゲリッチ主催のルガーノ音楽祭の常連でもある。1992年にはロシアにてアンドレ・サハロフ記念平和メダルを授与される。わが国にはウィーン・フィルメンバーとのピアノトリオ、アルカディア・ピアノトリオ・ウィーンのピアニストとして1995年と1997年とに来日し聴衆に深い感銘を与えた。またソリストとしても1999年に来日をはたした。現在フランクフルト及びドルトムントの音楽大学で教鞭をとりながら、欧米で活躍している。

(写真説明)巨匠イダ・ヘンデルと二重奏を組むウォルター・デラハント

2007年12月マイアミにて撮影

Delahunthaendel_1_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラファエル・フリーダーが帰国しました。

日本での2回の室内楽演奏会を終えたウィーン・フィル、チェロ奏者ラファエル・フリーダーは、18日オーストリア航空52便でウィーンに帰りました。Dscn0254

| | コメント (0) | トラックバック (0)

グスタフ・リヴィニウス(Gustav Rivinius)を少し詳しく紹介します!

グスタフ・リヴィニウス(Gustav Rivinius)

1990年チャイコフスキー国際コンクール優勝者

チャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門審査員Gustav_rivinius_foto_11_3

グスタフ・リヴィニウスは1990年にモスクワで開催されたチャイコフスキー国際コンクールの優勝者(チェロ部門)で、同時に解釈賞も受賞した。そして現在に至るまでドイツ唯一のチャイコフスキー国際コンクール入賞者であり、すでにチェロ独奏者としての地位を確立し、世界中の著名オーケストラ及び指揮者、有名な音楽家たちとの共演を続けている。

その目覚しい活躍の一端としてチェロ協奏曲を共演した世界の著名オーケストラを紹介すると、

バイエルン放送交響楽団(指揮:ロリン・マゼール)、

バイエルン放送交響楽団(指揮:インゴ・メッツマッハー)

バイエルン放送交響楽団(指揮:ハンツ・ゼンダー)

ライプツッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(指揮:トーマス・ダスガード)

バンベルグ交響楽団(指揮:ホルスト・シュタイン)同団創立50周年記念公演で演奏

北ドイツ放送交響楽団(指揮:アラン・ギルベール)

ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ)

スウェーデン放送交響楽団(指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ)

チェコ・フィルハーモニー交響楽団(指揮:ヴァツラフ・ノイマン)

ピッツバーグ交響楽団(指揮:マレク・ヤノフスキー)

セントルイス交響楽団、シンシナティ交響楽団、ヒューストン交響楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団、(指揮:クリストフ・エッシェンバッハ)

ヴァンクーバー交響楽団(指揮:セルジュ・コッミショーナ)

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ハインリッヒ・シフ)

モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(指揮:ドミトリー・キタエンコ)*日本公演

KBS交響楽団(指揮:マイケル・クリスティ)*韓国公演

グルベンキアン管弦楽団 

トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団

リヨン国立管弦楽団

チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(指揮:デイヴィッド・ジンマン)他。

グスタフ・リヴィニウスを育んだリヴィニウス家は音楽一家としても有名で、兄弟でリヴィニウス・ピアノ四重奏団を結成し長年にわたり演奏活動をしている。またダ・サロ・トリオ(弦楽トリオ)、バルトルディ弦楽四重奏団、タムズ・ピアノ四重奏団に所属し、室内楽奏者としても活発に活躍している。CD録音が多数あり、その多くはCPOレーベルで発売されている。

またグスタフ・リヴィニウスはHFMスターブリュッケン音楽大学教授であり同時にSchleswig-Holstein音楽祭のマスタークラスを受け持っている。そしてこれまでに多くの国際コンクールの審査員を務めてきたが、2011年よりチャイコフスキー国際コンクールの審査員に選出された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

チャイコフスキー国際コンクールについて・・・

International Tchaikovsky Competition in Moscow

チャイコフスキー国際コンクールは1958年に創立された世界で最も権威あるクラシック音楽コンクールで、エリザベート王妃国際音楽コンクール及びショパン国際ピアノコンクールとともに世界三大コンクールと称される。2009年から指揮者のヴァレリー・ゲルギエフが委員長に就任している。

世界最高峰の音楽コンクールといわれる本コンクールは4年に一度の開催を原則とし、開催初年の1958年にはピアノとヴァイオリン部門のみが審査対象とされたが、1962年の第2回コンクールよりチェロ部門が加わり、その後声楽部門も設けられた。第1回コンクールのピアノ部門ではおりから冷戦の真っ只中であったにもかかわらず、アメリカ人のヴァン・クラーバーンが優勝者となったことは世界に衝撃を与えた。

近年は指揮者としての活躍も著しい名ピアニスト、ウラディミール・アシュケナージ(ソ連)は1962年の優勝者であり、1970年にはギドン・クレーメル(ヴァイオリン)と抜きん出たソリストを輩出してきた。特にグスタフ・リヴィニウスが第一位を獲得した1990年はGolden Yearと言われ、ベレゾフスキー(ピアノ)、諏訪内昌子(ヴァイオリン)、グスタフ・リヴィニウス(チェロ)の名手を優勝者に選出した。なおグスタフ・リヴィニウスは今日に至るまでドイツ人唯一の優勝者である。翌1994年のチェロ部門は1~3位該当者なしとされた。チェロ部門に限ればチャイコフスキー国際コンクール優勝者は2011年までで僅かに11人を数えるのみである。

なお前述のエリザベート王妃国際音楽コンクールはピアニスト、ヴァイオリニスト、声楽家及び作曲家のためのコンクールであり、ショパン国際ピアノコンクールはピアニストを対象とするため、チェロ奏者にとってはチャイコフスキー国際コンクールにおける優勝が、文字通り演奏家としての最高位であるといえよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月16日 (金)

本年10月巨匠グスタフ・リヴィニウス(Gustav Rivinius)を招聘します!

NPOフレンドシップ・コンサートは本年の10月初旬から1か月間フーゴ・ヴォルフ三重奏団を我が国に招聘しますが、チェロ奏者にラファエル・フリーダーに代わり1990年チャイコフスキー国際コンクール優勝者のグスタフ・リヴィニウス(Gustav Rivinius)を招聘致します。リヴィニウスは欧米ではヨー・ヨ・マと並び巨匠と評価されている、現代最高のチェロ奏者です。ダニエル・ゲーデの親友であることから、日程確保が困難になったフリーダーの代わりに参加が決まりました。Gustav_rivinius_foto_31なお、すでにピアニストにはマルタ・アルゲリッチの激賞する名手ウォルター・デラハントが復帰し、ヴァイオリンのダニエル・ゲーデとともに最高のピアノ・トリオを構成します。

ご期待下さい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウィーン・フィルのラファエル・フリーダーが来日しました!

3月12日早朝、ウィーン・フィルのラファエル・フリーダーがオーストリア航空で来日しました。今回は短期の滞在で18日には帰国しますが、日本で2回の室内楽演奏会に出演するためです。Dscn0255この2月で50歳になったフリーダーと久しぶりにゆっくりと夕食を食べながら話し込みました。ウィーン・フィルのチェログループでは昨年のフォッグ引退に引き続き、今年はバルトロメイ、来年はドレシャルとベテランが去り、2013年秋にはゲアハルト・イベラーが52歳で最年長、51歳になるフリーダーが2番手になります。Dscn0253フレンドシップ・コンサートになじみの深いふたりが長老になるわけです。イベラーは1989年以来、フリーダーは1991年からさまざまな場面でフレンドシップ・コンサートのために尽力してくれた仲間であり、多くの思い出を共有しています。引退といえばわれらがギュンター・ザイフェルトは来年8月に引退予定(一定の条件を満たす功労者には期限の延長があります。)ですし、ウィーン・フィルの室内楽グループにも大きな変化があるようです。

FOR THE NEXT GENERATION!次の世代にも大いに期待したいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 3日 (土)

無事帰宅しました!

本日未明ゲーデ兄弟弦楽トリオはウィーンを経由して、オーストリア航空機を乗り継ぎ、それぞれの自宅に無事帰着しました。

Dscn0040

Dscn0063

Dscn0113

Dscn0208

Dsc01349

Dscn0209

Dscn0229

Dscn0234 ありがとう・・・ゲーデ兄弟。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

余韻(2)・・・

3月1日岩沼市の竹駒神社(日本三大稲荷)でおみくじを見るダニエル。  大吉でした。Dscn0236

3月1日仙台駅コムサカフェにて。Dscn0243_7

Dscn0242

Dscn0244

| | コメント (0) | トラックバック (0)

余韻(1)・・・

2月22日ウェスティンホテル仙台にて。Dscn0054_2

2月23日松島一の坊にて。Dscn0074

2月24日仙台駅にて。髭剃り中に右耳たぶを切ったダニエル。Dscn0087
2月24日石岡駅で。ステファン・フーバーのまねをするセバスティアン。
     Dscn0099

2月25日会津若松駅にて。雪降り・・・Dscn0110

2月25日仙台のすき焼「かとう」で。Dscn0115
2月26日ウェスティンホテル仙台「ウェスティンサロン・スペシャルコンサート」でDscn0130_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

飛び立ちました!

ゲーデ兄弟弦楽トリオは日本での全19回のボランティア・コンサートを終えて、オーストリア航空52便で帰国の途につきました。実質8日間で約5000人以上の方々に音楽を届けました。音楽家たちにとっても、深く感動させられた旅でした。Dscn0248_2

昨夜少し食べ過ぎたダニエルは今朝45分のジョギングをしました。成田空港第一ターミナルにはこのたびに同行したジャパンケーブルネット(JCN)のスタッフが待機し、出国の様子を撮影し、別れを惜しみました。Dscn0251
Dscn0252

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仙台→成田

3月1日岩沼西小学校を終えて、ウェスティンホテル仙台からホテル日航成田へ移動です。Dscn0241

トーマスとセバスティアンを三田のコートドールに案内しました。大好きな斉須シェフの美味しい料理を頂きました。Dsc01434

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 2日 (金)

明日は帰国です。

明日は帰国です。1991年以来彼らやウィーン・フィルの友人と共に、国内で数百回のコンサートをしてきましたが、私には今回のツアーが最も心に残るものになりました。ダニエル・ゲーデもまったく同意見です。

トーマス・ゲーデ、ダニエル・ゲーデ、セバスティアン・ゲーデの考えは一つです。

「続けていくこと・・・ 一度だけで終わることなく微力でも継続していくこと。」

彼らにはその意思があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仙台や岩沼は住みやすそうな街!

海のものも山のものも美味しくて、人々の心が温かな仙台は住みやすそうな街です。雪も少なく緑に囲まれて・・・

午後は児童数の多い岩沼西小学校で演奏しました。さすがに今回のツアーの最後だけあって、事故もなく事に終了した後はホッとしました。ゲーデ兄弟の驚異的な頑張りはもちろん、JCNのスタッフの努力には感心するばかりです。Dsc01417

Dsc01422最後にゲーデ兄弟全員がインタビューを受けました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

岩沼市の小学校3校を訪問しました!

東北本線で岩沼に向かいました。春を思わせる良い天気・・・とのんびりしていたら岩沼を乗り過ごして、隣の駅、逢隈(おおくま)に来てしまいました。阿武隈川を渡るだけでガラッと違う景色です。雪が多く残り川霧で町が霞んでいます。Dsc01408

最初は岩沼小学校です。Dsc01412

続いて岩沼南小学校です。ここでは音楽室で演奏しました。児童がお礼にとても美しい合唱を歌いました。阪神淡路大震災を契機に作られた歌「しあわせ運べるように」です。

また児童によるお礼の挨拶も予め用意されたものはなく、最前列で彼らの演奏を聴きながらメモをとっていた女子児童が、自分の言葉で心のこもったお礼を伝えました。Dscn0237

Dscn0240

しあわせ運べるように(ふるさとバージョン)作詞・作曲  臼井 真


地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に

響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

地震にも 負けない 強い絆(きずな)をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

近くの喫茶店でお昼を食べて日本三大稲荷のひとつ、竹駒神社に参拝しました。Dscn0233

Dscn0235

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あと3回の演奏会・・・

ウェスティンホテル仙台をチェックアウトしました。会津に宿泊した24日以外の7泊を快適に過ごしました。しかも今回は東日本大震災応援ツアーに全面的に協賛して頂きました。大きな支援でした。Dsc01339

Dscn0218
エントランスに入ると優しい香りに包まれ、仙台市内を見渡すシンフォニーで食べる美味しい朝食、ゆったりと時が流れる特別な空間・・・

ある意味でとても辛いツアーであっただけに、心から癒されました。ウェスティンホテル仙台に宿泊しなかったら、厳しい場面もあったと思います。Dscn0221早朝にもかかわらず、わざわざ福永健司総支配人と青島さんが見送って下さいました。

仙台駅からウェスティンホテル仙台(ダニエル・ゲーデの向かって右側の高層ビル)を望む。Dscn0226_3
Dscn0226

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »