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2021年9月19日 (日)

メランデ・ピアノ三重奏団は待機5日目を過ごしています。

台風一過、気持ちの良い秋晴れの1日です。メランデ・ピアノ三重奏団のメンバーは自室から離れることはできません。野菜不足が心配ですので野菜ジュースを送っておきました。

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スイシュー夫人の部屋にはKAWAIの88鍵盤の電子ピアノを入れてあります。

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スイシュー夫人は本名を「劉雪甦(リウ・シュエスー)」といいます。苗字が「劉」で名前が「雪甦」です。3月初旬の生まれなので「雪甦」とされたそうです。ダニエル・ゲーデは「シースー」と呼びます。「シュエスー」とも聴き取れますが、上手く日本語表記にできませんので、相談の上「スイシュー」と表記することにしました。

スイシューさんはダニエル・ゲーデと同じく1966年に中国の西安で生まれました。ちょうど文化大革命がおこった年です。ご家族はご両親と兄と姉と妹の4人兄弟で、お父さんはクラシック音楽の作曲家でお母さんは声楽家でした。彼女自身西安の思い出はそれほど多くなく、家の前にあった大きな公園と徒歩で通学したことが位が強い記憶だと言います。

1977年まで続いた文化大革命は劉一家に大きな影響を与え、1978年一家は古都、西安から北京への移住を余儀なくされます。芸術家であったご両親には、大変生き辛い時代であったそうです。

5歳の頃からピアノを習い始めたスイシューさんは、北京に引っ越した翌年、中国で最も権威ある北京中央音楽院付属の中学高等学校に入学し、そこで5年間を過ごし、その後、大学にあたる北京中央音楽院で3年間を学びます。この8年間は寮生活で週末や休日に自宅に戻っていたそうです。ピアノに集中したこの時期は彼女にとってかけがえのない8年間で、この頃の友人との交流はいまだに続いています。

そして彼女は北京中央音楽院を卒業することなく、ご両親と相談の上でヨーロッパに留学することを決意します。スイシューさん自身はパリを目指したのですが、北京からシベリア鉄道で7日間かけて着いた最初のヨーロッパ(西側)の都市がベルリンでした。しかもその旅が彼女にとって初めての一人旅でした。

ベルリンには友人が住んでいましたので、しばらくそこに泊まることになったのです。ちょうどタイミングよくベルリン芸術大学の入試があったため、受験したところ「合格」し、特待生として迎えられたのです。

ここで後に夫となるダニエル・ゲーデと出会うのですから・・・

ダニエル・ゲーデ曰く「本当に僕はラッキーだった。彼女が合格していなければ、今頃もっと優しい素敵なフランス人の旦那さんと暮らしていたかも・・・」学内では「中国から小さな可愛い女の子が1週間かけてベルリンに辿り着き、困難な試験に見事合格した!」と評判になっていたそうです。(続く)

 

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