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2022年9月

2022年9月13日 (火)

9月10日~12日ウィーン・ピアノ五重奏団はウィーンに集まり、カイザーザール(Kaisersaal)で最終合宿をしました。

ウィーン・ピアノ五重奏団のメンバー、マクシミリアン・フリーダー(ピアノ)、ダニエル・ゲーデ(ヴァイオリン)、クレメンツ・フリーダー(ヴァイオリン)、セバスティアン・エイブ(ヴィオラ)、グスタフ・リヴィニウス(チェロ)の5名は9月10日から12日までウィーンに集まり、10月5日から始まる日本ツアーに向けて、3日間フルに長時間にわたる最終合宿をしました。場所はウィーン西駅の近くにあるピアノギャラリー「Kaisersaal」です。リヴィニウスはラファエル・フリーダーのチェロを借りて演奏しました。

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ヴィオラのセバスティアン・エイブは私たちのツアーには初参加です。チューリッヒ歌劇場の首席ヴィオラで、チューリッヒから故郷のウィーンに帰省して参加しました。クレメンツ、マクシミリアンのフリーダー兄弟とは幼いころからの遊び仲間で、クレメンツ・フリーダーとセバスティアン・エイブはともにバイロイト祝祭管弦楽団の団員です。

下の写真は近くのマリアヒルファー通りのカフェでお茶をするウィーン・ピアノ五重奏団・・・リンクとウィーン西駅を結ぶこの通りは、2015年から快適な歩行者天国になりました。観光客よりは地元の人々の集まる通りで高級ブティックはありませんが、昔からの落ち着いた素敵な商店が残っています。

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5名は10月5日と6日に来日し、7日から11月10日(帰国日)までの34日間、東京都内各地、埼玉県、千葉県、神奈川県(横浜市、鎌倉市等)、名古屋市、京都市、神戸市、伊丹市、宝塚市、仙台市、鹿角市、大館市、福岡市、別府市、佐伯市等で演奏します。

モーツァルトのピアノ四重奏曲を更に合わせる4名を残して、ダニエル・ゲーデは一足先にウィーン西駅からオーストリア、チェコの国境に近いパッサウを経由して自宅に戻ります。その前に1994年から2000年までスイシュー夫人と住んでいた、マリアヒルファー通り49番地の懐かしいアパートメントを訪れました。この7年間彼はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めていました。

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マリアヒルファー通りの象徴であるマリアヒルファー教会・・・

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ゲーデ夫妻が7年間住んでいたマリアヒルファー通49番地・・・

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2022年9月 8日 (木)

8月末にダニエル・ゲーデとオリヴァー・トレンドルはケルンでCD録音をしました。

ダニエル・ゲーデは8月27日からミュンヘンの親友オリヴァー・トレンドル(ピアニスト)の自宅に2泊し、CD録音のためのリハーサルを行いました。取り上げた作品はヨハンナ・ミュラー=ヘルマン(1878-1941)の曲で、ウィーン生まれの女流作曲家です。録音はケルンのスタジオで3日かけて行われました。

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グルメでグルマンのオリヴァー・トレンドルは趣味が料理です。プロ級の腕前を友人たちに絶賛されているトレンドルは、ピアニストとして世界を回った経験を活かし、様々な種類のメニューを提供します。

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2022年9月 1日 (木)

8月20日ダニエル・ゲーデのご母堂、ヘルガさんの葬儀が北ドイツの海辺の町で行われました。

ダニエル・ゲーデの母、ヘルガ・ゲーデさんの葬儀が8月20日行われました。ゲーデ家のほとんどの人々20名がバルト海に面した北ドイツの海辺の町に集まり、船で30分ほど沖に出ました。そこで白い箱に入った遺骨を海に沈めました。この箱はしばらくすると完全に溶けて、自然に戻る素材でできています。ヘルガさんはさらに北にある旧ドイツ領の街(カリーニングラード)で生まれ育ちましたが、現在はロシアの飛び地のため入国できません。そのためヘルガさんの遺言で「散骨」の形式を採ったそうです。

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